TEL: 06-6770-6600
事務所名 | 倉矢税理士事務所 |
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所長名 | 倉矢勇 |
所在地 | 〒5430072 大阪市 天王寺区生玉前町 2-18生魂ビル202号 |
電話番号 | 06-6770-6600 |
FAX番号 | 06-6773-2123 |
業務内容 | ・創業・独立の支援 ・税務・会計・決算に関する業務 ・税務申告書への書面添付 ・自計化システムの導入支援 ・経営計画の策定支援 ・資産譲渡・贈与・相続の事前対策と納税申告書の作成 ・事業承継対策 ・税務調査の立会い ・保険指導 ・経営相談等 |
倉矢税理士事務所は TKC全国会会員です |
TKC全国会は、租税正義の実現をめざし関与先企業の永続的繁栄に奉仕するわが国最大級の職業会計人集団です。 |
近畿税理士会
令和5年9月14日
税理士 倉矢 勇
インボイスへの対応
1インボイス制度は電子帳簿の保存制度とは異なる制度です
10月からインボイス制度が開始しますが、令和6年度から本格適用となる電子帳簿の保存とは異なる制度です。
電子帳簿保存法は、その趣旨を要約すれば、「自己が最初の記録から電子計算機を使用して作成する場合には・・・・それをもって帳簿の備付け及び保存に代えることができる」、というものです。
厄介なのはインボイス制度の方で、消費税法に、適格請求書発行事業者を位置づけ、適格請求書(インボイス)の交付義務を創設した、ということです。
これら2つの法律改正を、商売の好機と捉えたベンダーが煽っていて、実務界に混乱と緊張が走っているという側面は見られます。
消費税法には、帳簿の保存義務が置かれており、その記載事項として、①仕入先の名称、②仕入の年月日、③仕入の資産又は役務の内容、④その支払対価の額が要件とされています。
消耗品を購入した場合など、②と③は記載のない元帳など散見されるところで、経験上それが問題になったことはありません。
ただ○○系の商工団体などの会員で、最初から適正申告の意思なく、意図的に杜撰な申告をしていて、仕入税額を全額否認されたケースはあるようです。
法律や通達は、正確な理解が得られるよう、誤解を受けないように、水も漏らさぬ設計をし、文脈と文面も整えます。
記帳は会計ソフトを使うにしても、人の手を通しますし、時間効率など考えれば、法律や通達のように理非曲直を極めた正確性をもって、作成はできません。
他の税法もそこは同じで、国は法律や通達は精緻に作りますが、商行為そのものは実に雑多で、法律や通達に適合すべく記帳するというのは大変な作業です。
国もその辺りはよく分かっていて、実務面は、投網にも似て小魚は逃がしても構わない、という建付になっていることが多いものです。
仮に税務調査を受けたとしましょう。調査官も限られた時間のなかで調査をするのですから、微に入り細を穿って隅々まで目を通す訳には参りません。
また調査官も人の子、重箱の隅をツツクように細かいところを指摘して、納税者から嫌われるのは嫌だと思いますよ。
現在の免税事業者は460万ですが、課税事業者となりうるのは160万、7月時点で92万の事業者が課税事業者申請をしました(日経9月7日朝刊)。
7月時点で、まだ68万が宙に浮いた状態にあるのです。
そこで既に課税事業者である皆さまと、こらから課税事業者となられる皆さまに分けて、実務的に大事な点を書出してみたいと思います。
2課税事業者である皆様
① カード決済を、内容を開示しないまま交際費などで処理している場合
登録番号の記載のある領収書あるいは請求書などは必ず取得して、保存するようにして下さい。これまでのように帳簿に記載しただけでは仕入税額控除が出来なくなる可能性が高くなります。少なくとも法律的にはアウトです。
企業において交際費などカードでの決済が年間1,000万円以上であるにも関わらず、証憑書類は、銀行の引落明細のみというケースも見られます。税務署は手ぐすねを引いて待っているような気がします。
② インボイスの交付を受けることが困難な取引の場合における3万円未満の公共交通機関の運賃などは、帳簿のみの記載で仕入税額控除ができることになっています。
小口の支払いや、値引きなどで金額が僅少なものについては、担当者からの申告を条件に、インボイス等がなくてもあまり気にしないで、仕入税額控除を適用していいであろうと倉矢は考えています。理由は先に書いたとおりで、帳簿の保存義務と同列です。
コインパーキングの支払いは、そのレシートを保存しましょう。高速道路を利用した場合は、高速道路会社が運営するWeb上の「ETC利用照会サービス」から「利用証明書」をダウンロードして、電子簡易インボイスとして保存してください。
③ 免税事業者からの課税仕入れについては、令和8年9月30日までは、その仕入税額の80%、令和11年9月までは、50%控除が可能です。
④ 契約書があり、毎月同額の金額が発生するような座振替での支払は、銀行の振込金依頼書があれば、特に領収書等がなくても問題はないでしょう。
3これから課税事業者となる皆さま
① 基準期間の課税売上が1,000万円以下である免税事業者が、インボイス発行事業者となり、本則課税を選択した場合であれ、簡易課税を選択した」場合であれ、令和5年10月1日から令和8年9月30日までは、算出税額の20%を納めればいいことになっています。
ただし、簡易課税の適用を受けるみなし仕入れ率90%の課税事業者が、この軽減措置を使えば、逆に税負担が増えます。
② インボイス制度開始前にインボイス発行事業者の登録を取り下げるのであれば、令和5年9月30日までにしなければなりません。
③ インボイス発行事業者が登録を取り消すケースにおいては、翌課税機関の初日から起算して15日前の日までに届出書を提出することが必要です。
但し登録日から2年を経過する日の課税期間の末日までは、納税義務が免除されません。
4その他
① 免税事業者はインボイスの発行はできないのですが、免税事業者からの仕入れに消費税相当を転嫁することは可能です。
(ただ仮に大手がこの転嫁をした場合、公取あたりから下請けイジメの問題が提起されるような気もしますが大丈夫なのでしょうかね。)
② 小規模事業者(基準期間の課税売上げが1,000万円以下の者)に対する納税額は、軽減措置として令和8年9月30日までは、売上税額の2割に軽減されます。
5電子帳簿の保存
⓵ 電子帳簿保存法の適用を受けるのであれば、 電子取引データー(EDI Electronic Data Interchange)は、令和6年1月以降は、必ず電子保存をしてください。専用システムとしては,NTTファイナスの「楽々クラウド電子帳簿保存サービス by ClimberCloud」などはお勧めかも知れません。
⓶ 電子取引により、受領し又は交付する注文書、契約書、送り状、領収書、見積書についても①と同じです。
6税制を歴史から考察すると
税制というのは、社会に与える影響が大きいもので、国の文化を変えてしまうほどの影響力を持つ場合があるもので、民度・歴史を考慮にいれて、設計をすべきもので有ろうと思います。
「高き屋に登りてみれば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」
仁徳天皇は、民が困窮しているのをみかねて3年間、税を免除したという故事が基にあります。
また17条憲法の12条に、「国のつかさ国のみやっこは百姓におさめとることなかれ」とあります。要はメチャクチャな税金はとるなよ、ということです。
これは国と国民の合意事項であると思うのですが、消費税はどうなのでしょうね。
消費税ができたのは、昭和63年、暮れも押し迫った12月下旬であったと記憶しています。竹下内閣のときでした。プラザ合意の後で、時恰もバブルの始まりの時期でした。
それから35年が経過しました。
失われた30年は、この消費税の導入に始まったというのが私の理解です。
令和5年4月8日
税理士 倉矢 勇
私の手許に消費税はダメという本が4冊あります。
消費税増税亡国論 植草一秀 2012年4月23日 発刊
10%消費税が日本経済を破壊する 藤井聡 2018年11月10日 発刊
増税亡者を名指しで糺す 田中秀臣 2018年12月13 発刊
消費税が国を滅ぼす 富岡幸雄 2019年9月20日 発刊
『アルカバラ税(スペイン)は、設定当初、譲渡価格の5%であったが、後、1377年に10%に引き上げられている。アルカバラ税は、農夫から貴族まで、すべての人に適用された。(中川和彦著 「中世のカスティージョリャの税制の素描から」の抜粋)』
『スペインはアルカバラ税の課税対象を拡大していきました。1590年には食糧品などの生活必需品にも課せられるようになりました。消費税は、現在でも国の景気を後退させる作用があります。現在、各国で課せられている消費税のほとんどは、その商品を最終的に消費する人だけが、1回だけ払えばいいという仕組みになっているのです。
しかし当時のスペインの消費税アルカバラ税は、その商品に1回だけ課税されるのではなく、その商品が取引されるたびに課税されました。だから輸入品や遠隔地から運ばれた商品は、商人の間で取引されるごとに消費税が取られたので、商品の価格はどんどん上がっていくことになりました。当然、物価も上がるし、景気は低迷します。(大村大次郎著「脱税の世界史より抜粋」)』
日本の消費税は1989年(平成1年)導入されました。アルカバラ税と同じで、多段階課税ですから、価額は上がらなくてはならないのに、このところのインフレは別として、過去30年間、物価は下がり続けました。スペインのアルカバラ税とは全く逆の現象が起きているのです。
そこには企業家の必死の努力があったとも言えます。消費税導入直後において、家電量販店などは、消費税相当額3%の値引セールなどしておりました。しかし、消費税値引きセールは行政指導によりできなくなりました。
人件費の安い海外に生産基地を求め、国内においても問屋業がなくなるなど流通過程が垂直化して、日本の人件費は下がり続けました。
消費税導入後は海外からの安い労働力を入れ、人材派遣が当たり前のごとくなり、100円ショップが伸長し、とかく物は安ければ良いということになったのです。
例えば消費税が導入される少し前の昭和60年(1985年)頃のことと記憶していますが、次のような記事が新聞に出ていました。
百貨店での話ですが、同じハンカチを仮に500円と700円を並べると700円の方が良く売れるというのです。つまり高いものを買って大事に使うというのが、それまでの日本の美徳だったのです。時代は大きく変わりました。
日本国内に落ちなければならないお金が、日本人に渡らなくなり、国内景気を冷やす結果となりました。最近は同一労働・同一賃金が云われ、またリスキリングが脚光を浴びつつあります。これは一企業で定年まで働くということはできないし、大手企業であっても、40歳代以後は、結局給料は上がらないであろうから、生活設計がたたなくなります。今年辺りは政府の声掛けもあり、賃金が上がる方向にあるようですが、それは若い層が中心であり、中高年には及ばないのではないかと思います。若い層はそれを見て、結婚は躊躇するでしょうし、従って子供も増えません。
政府は子供を増やす政策をとる、と言っていますが、子供をつくる、つくらないは人間の営みですから、政府主導では無理です。
海外からの出稼ぎ組は、稼いだ金を自国に送金していますから、日本経済にはマイナスに作用をしています。
同じ現象はコンビニについても言えるのです。コンビニは東京資本ですから、大阪で売られる商品であっても、大阪圏内で仕入れがされているかどうかも分かりませんし、何よりも問題なのは、そこで回収されたお金は東京にいってしまうということなのです。
海外からの労働者とコンビニ問題の共通項は、地域にお金が落ちないということで括られますから、地域経済を冷やします。
更により本質的なことを言うなら、自由社会においては、その自由が保障されなければなりませんし、自由が保障されて行動が自由になり、獲得した財産の処分権にも自由があって、財産の蓄積もできなければなりません。これができなければ独立ができないのです。
ざっくりとした計算ですが、年収400万円であれば20%程度が所得税・住民税・社会保険料で消え、その残りの手取額320万円からほぼ32万円が消費税で消えます。つまり年収400万円の場合、可分所得は288万円でしかないのです。
国民が自主独立的に生きられず、財産の蓄積ができないようでは、自由な社会に生きているとはいえないでしょう。これでは日本は先進的民主国とは言えません。
消費税・法人税・所得税・社会保険税・その他の地方税など、日本の税制は、とかく緻密にできていると思います。しかしその緻密さが逆に日本人の手と足を縛っていて、多くの国民の生活が楽にならず、手足を縛っているとも言えます。
「鼓腹撃壌」は中国の故事です。意味するところ、腹いっぱい飯が食えて、政府(為政者)のことなど、日常生活では忘れていられるのが、いい社会ということです。
楽しい買い物のハズなのに、お金を払う都度、税金を意識して、腹を立てなければいけいないのですから、消費など増えるはずもありませんね。
以上のようなところから、消費税は存続させるにしても3%程度に戻すか、あるいは地方税にしてしまえばいいのではないかとも思います。地方税にすれば、各地方は創意工夫のもと、その地域に合った産業を起こすことになるしょう。ふるさと納税と同じです。国税が地方税になった例として、固定資産税があります。固定資産税は、明治期には地租税という名の国税でした。
令和5年2月28日
税理士 倉矢 勇
1人の長所を始めより知らんと求むべからず、人を用いて始めて、その長所の現わるものなり、
2人は、その長所のみを取らば即ち可なり、短所を知るを要せず、
3己が好みに合う者のみを用うるなかれ、
4小過を咎むる要なし、ただ事を大切になさば可なり、
5用うる上は、その事を十分にゆだぬべし、
6上にある者、下の者と、才智を争うべからず、
7人材は、必ず一癖あるものなり、
(荻生徂徠)
「同一労働・同一賃金」などと言われ出して、少し時間が経過したと思うが、本来人のする仕事に「同一労働」などというものはありません。判断力、電話への対応、段取りや計画、組織内連携における情報の発信や、その受け方、機転の利き方、手の速さなど、何を取っても人がする仕事に同一のものはなく、従って同一賃金もないのです。
仕事は他者との関係性において、同一のものはなく、当然賃金も人により変わってるもの、ということになるのですが、では賃金を微に入り細を穿って、人ごとに細かく決められるかというと、そういうものでもありません。
人はすべからく、一知半解です。使う側は従業員の能力を100%正しく評価することはできないでしょうし、使われる側にも、それぞれに自負心があり、認められたいと思う反面、評価をされること自体、その点数が高くとも必ずしも面白いものではありません。
たまに見かけるのは、他の従業員に内緒で個別折衝により賃金を上げるケースですが、どういうわけか、すぐにばれています。
これをすれば組織は懐疑と怨嗟と嫉妬の坩堝となり、人間関係が破綻して、給料を上げて貰った側からの不信も生じます。雇用者側が識らず組織を壊しているということになります。
リスキリングという言葉が出てきました。要はデジタル時代にふさわしく学習によって新しい技術を身に着けよう、ということです。しかし言うは易く行うは難しということになるでしょう。他律的に学びなおしを言われても、人は簡単には変われません。
岸田首相は、リスキリングに5年間で5兆円を投じる(令和4年10月13日 日経朝刊1面の記事)ということです。その骨子として同記事において次の3点をあげいます。
1 転職や副業を受け入れる企業や訓練後に非正規雇用を正規に転換する企業への支援を新設・拡充
2 在職者のリスキリングから転職まで一括で支える企業制度を創設
3 従業員を訓練する企業への支援金の補助率を引き上げる
ということが柱になっています。
1の非正規を正規に転換するというのはまあいいでしょう。しかし転職や副業を受けれるための訓練は誰がやるのでしょうか、誰がその費用負担をするのでしょか、政府の補助金を充てに現雇用者である会社がするのでしょうか。
2において在職者のリスキリングから転職まで一括で支える企業制度を創設した企業は、自らの事業に将来性がないことを自白したことになります。
それに3の従業員を訓練する企業に支援金の補助率を引き上げれば、補助金泥棒が増えるだけとなります。そして組織内においては鬱が増えるだけです。
そんなことより、企業は雇用者側の意図を明確にし、期待することと評価点も事前に明示し、て、「さあ、やれ」と言ったほうが、従業員側も受け入れやすいでしょう。
リスキリングは角を矯めて牛を殺すことになるかも知れません。
先に示した荻生徂徠はいいですね。
ただしこれも、極めて日本人的な和(やわらぎ)を中心にした共通の文化度が先にあり、「あ・うん」の呼吸で動く組織であれば問題なくいいののでしょうが、日本国内であっても、今日のように白人、黒人、黄色人、ヒスパニックなど入り混じった組織では果たして通用しないかもしれません。
話は飛びますが、ドラッカーなども経営指南書としては面白いのですが、日本人にはシックリこないところがあります。
「同一労働・同一賃金」、「リスキリング」などは、人間には喜怒哀楽があるということを視野に入れない人の情動を無視したものです。
先に示した荻生徂徠の言を、少し工夫してポジティブリストとしてまとめ、人事評価の基準として定めれば、いいと思うのですが、どうでしょうね。
商材は、品質と価額が問題で、品質がよく値段が手ごろであれば、売れるのであろうが、安ければ、経費が出せなくなる。
経営者はそうした二律背反の命題を抱え、緊張を強いられ、その相克のなかで四六時中厳しい価額競争に晒されている。
経営が順風満帆であっても、後継者が決まらず、社会構造の変化など経営の将来に不安があり、自身がそれなりの生活水準が見込めるのであれば、会社ごと売り飛ばしてしまおうということになる。
会社を売ってしまおうと思うより本質的背景は、経営の大変さが経営の面白さを超えたからで、その緊張状態から逃れたくなったときだろう。
M&Aで買い手が求めるものは、財務内容の確かさは当然として、現経営陣が退いても、経営が継続できる状態にあるのか、組織がしっかりしていて中核となる社員がおり、扱う商材が今後とも利益を上げられるのかである。いわば会社の価値(評価)の問題である。
売る側は、首尾よく売れれば経営に関してはそこで終わる。
時価純資産を見定め、そこに営業権としての営業利益の3年分をプラスして買ったとしよう。結構高い買い物であることは間違いがない。
問題は買った側で起きる。
その会社のその取引先、財務内容、扱う商材を慎重に見極めたとして、次の大問題は人である。優れた人材がいなければ、直ぐに経営が破局を迎えるのは目に見えている。
一番いいのは、売った側の経営陣・従業員ともにそのまま残ってもらい、経営を維持してもらうことであろう。それができない場合は、従業員にそのままは残ってもらうことができるのであろうか。二つとも叶わなければ、そのM&Aは早晩失敗に帰す可能性が高くなるだろう。
買収された会社の経営陣が退くとして、では誰を社長に据えるか、生え抜きの従業員がいたとして、経営のノウハウがあり、カリスマ性もあり、他の従業員からは畏怖心を持たれており、卓越した経営手腕のもと他の従業員一目置くような人材であれば、問題はないだろう。
中小企業で、経営のノウハウを一番持っているのは、退いた経営者であるというのはよくある話。
カリスマ性とは、他の従業員が一目置き、仕事の指示は仰ぐにしても、一緒に居れば緊張感のある怖さのことである。
従業員の中で、管理能力に優れ、商材の知識もあり会社内部のことに習熟している人材を抜てきしたとしても、やはり経営は務まらないかも知れない。
なぜなら元の仲間がいきなり社長になったのである。人付き合いも上手く、面倒見もよく、始終にこやかで且つ事業に通暁していたとしても、それだけでは誰も怖れない。
カリスマ性がなく、下からみて畏怖心を感じさせないようでは、社長業は務まらないだろう。
もう一つの問題は売る側にしろ、買う側にしろ、いずれの側のトップも社内の人間関係には思いが至らないことが多いのではないかと思う。
会社内部には反目があり嫉妬がありで、それらは上層部から組織の確執は見えない、嫉妬や反目が結局、会社を殺してしまい、M&Aは失敗することになる。
出来上がった組織であれば、それ自体が変化を好まないものであるから、弱い社長では、動かせない。M&Aの直後は、古い重しがとれて、ホッとしている社員も多いし、気が緩んでいれば、尚更であろう。このような問題は素早く見つけ、内部の波乱要因を未然に摘みとらねばならない。
釈迦が亡くなったとき、思想で強固に結びついているはずの弟子の半分が離反したというから、組織というものは、そうした脆弱性を抱えているものである。
いずれにせよM&Aで、買った側が一番注意しなければならないことは、いきなり組織風土に手をつけないで暫くは様子を見るということと、逆に社長は元の社長が退くのであれば(大方はそうなると思うが)外部から送り込んだ方が良いということである。
勇将のもと弱卒なし、と言われますが、弱将のもとに勇卒が集まる、というのが日本のスタイルでしょう。日本では英雄は出ませんしね。ただし人が集まる弱将には条件があります。皆の意見を真摯に徴取し、ぶれないで結果責任だけは負うということです。
城山で自刃した西郷隆盛は、そのいい例かもしれません。担がれて、最後に死を選んだのです。そこに勇将のイメージではありません。ただただ部下から慕われ、信頼をされていたということです。未遂に終わりこそすれ、生前においてもお坊さんと入水自殺を図ったことがありました。
推古12年(604年)に、聖徳太子によって17条憲法が書かれました。今、読み返しても結構新鮮です。日本の文化が凝縮されていて、現在にも通用する規範性を持っています。
17条憲法は当時の官僚の職業規範だったのでしょう。そのまま現在にも通じます。組織運営の要ともなり、日常においても立派な処世訓ともなります。
17条全部は大変ですのでいくつかを選び、少し思うところを述べます。ただWordでは登録されていない字体が多く、ここで用いる言葉はあくまでも現在のものに改めた表記とします。
ここでの「和」を、「わ」と読めば意味がわからなくなりますが「やわらぎ」とよむことで、人との接触態度をさすことになり、日常の行動指針となります。
現在、日本と中国の関係が激しさを増していますが、相変わらずわが国の指導層は、中国して強い態度に出ません。切歯扼腕、腹立たしく思っている国民も多いことと思いますが、まあこれは、日本の文化だと思って諦めなければなりません。
「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった四杯で夜も寝られず」は、ペルーが来航したころの日本の状況ですが、今も一緒です。日本人全員の一致をみて、多分そのうち、中国にも強い態度を取るようになるでしょう。寝ているわけではありません。やわらぎながら合意を形成?しているところなのです。
天皇の命を受けたら、必ずそれに従え、というほどの意味ですから、これを仮に今の政府が口に出せば、左翼やリベラルからは喧々囂々の非難が集中するでしょうね。会合で「日本は神の国である」と言って首相を引きずり降ろされた御仁もいましたからね。
しかしこの「詔」を「法律」と置き換えてみれば、現在でも立派に通じます。法律とまではいかない行政指導であっても日本人はよく守っています。
いい例がコロナに対する時短営業です。私などは、営業制限されたお店は徒党を組んで、ゴンタを言つてもいいのではないか、と思います(こうした表現は慎むべきでしょうか)。
お上の言は当時も今と同じで官僚のみならず庶民生活の隅々に至るまで、よく行き届いていたであろうことは想像に難くありません。
古来より、わが国では本質的なところで政府と国民の間には不信や相克がないのです。
上の者が礼をわきまえることで、下の者がこれに従うことになる。そうすれば罪人も出ないであろうし、国もおのずと治まるものである、というのです。
中国と比べればわが国はわいろなども極端に少なく、多くの人は清廉潔白をよしとしています。聞くところでは、日本のような先進国で30年近くもデフレを経験し、GDPを落とし、給料も上がらない国は珍しいそうですが、皆で仲良く礼儀を守って犯罪も起きないのです。
昭和60年(1985年)、プラザ合意のあと、日本経済がバブル化し、資産格差が著しくなったことがありました。その格差は許されないというのが、その当時の雰囲気でした。
絶望的と思われるその格差をテーマとして詳しくは忘れましたが、何回かに渡りNHKはTV討論をやりました。
日銀総裁に選ばれた三重野何某は、金融引き締めに走り、公定歩合を上げ、平成の鬼平と言われて一世を風靡しました。公定歩合は平成2年(1990年)には6%まで上げられたのです。
バブルはその後、この鬼平総裁の強圧的政策で沈静化し、以後30年日本経済は沈んだまま、浮上せず現在では1人当たりGDPも韓国に抜かれるかも知れないところまできています。
われら日本人、破れ障子から月を愛で、草に集く虫の音に風流を感じる国民性であってみれば、あと30年、更にこのまま貧乏になっていったしても、皆が一様に赤貧になる段には、平気の平左で、格差は困るが一緒に貧乏になることには一向にかまわないのですね。
いつの時代もワイロを受け取る人士はいたのです。財産がある者の訴えは、すぐに聞き届けられるが、貧乏人の訴えは水に石を投げるようなものである。と書かれています。これは今も同じです。しかしこの5条を裏読みすれば、貧乏人にも目配せがされていたということです。
推古12年を遡る300年ほど前、仁徳天皇は「高い家に登りて見れば煙立つ民の竈は賑わいにけり」と詠っています。カマドから煙が昇る様をみて、庶民の暮らしに安堵したということです。これを日本型民主主義と言わずして、何と言えばいいのでしょう。しかも民の生活を改善させてやったなどとの直接的かつ傲慢な表現ではなく、横を向いて歌にしたのです。民人はそれをそこはかと無く察するというのは日本人的礼儀であり、日本的忖度というべきか。
思い出すのは、昨年11月のアメリカの大統領選です。ドミニオンのインチキあり、郵便による不正投票あり、集計上でのいかさまあり、と言ったところでしたが、結局不問とされました。上からのパワーをガス抜きすることで市民をなだめるのがアメリカの民主主義なのでしょう。
選挙においてその手続きが正しく保証されていないとなると、日本ではどのような議論が起こるでしょうか。皆が貧乏になることは許せても、この不正は許せないでしょう。
2000年に渡る日本の民主主義に万歳を叫びたいと思います。アメリカにはアメリカの民主主義があり、日本には日本型の民主主義があるといったところでしょうか。
つまり正義を実行せよ、ということです。正義というのは、歴史的慣習を基にしたものであり、また現在であれば法律もその類です。
しかし政治家の皆さんはその全部ではありませんが夫婦別姓を叫んだり、同性婚を進めようとしたり、自ら目立つことが政治家の与件であると考えている先生がたが少なからずいます。
今日的に言えば正義を守るためには力が必要ですが、政権与党の政治家であっても物分かりの良い顔をしたいものだから、国のカタチに思いを致さず、政治家の本領を発揮しないで、また政治家の使命を自覚しないで右顧左眄しています。歴史に根差す正義が分からないのでしょうね。
心は様々で、自分が聖人で他人が悪人というわけでもない。人が自分と違うからと言って怒ってはいけない、というのです。ウイグル問題に関連をして加藤勝信官房長官は「わが国の制度は人権問題のみを直接の理由として(中国に)制裁を実施する規定はない(3月29日産経朝刊」と述べました。
そもそも日本人の精神構造は「明るく」「直く」「清く」が基底にあり、それは神道の構造そのもので、正邪は判断しないのです。イデオロギーはありません。宗教のように親分(教祖)がいて、経典があり、戒律があるとういう構造ではないのです。
ここでの百姓は農家人ということではなく、「百の姓」つまり一般の国人というほどの意味ですが、我々の周りは税金だらけですね。消費税、法人税、所得税、相続税・贈与税、県民税、市民税、健康保険税、厚生年金保険税、固定資産税etc・・・。
税も「租」「庸」「調」の時代であれば、政府の軍資金であったでしょうし、国家財政において必要各欠くべからざる意味がありました。それでも百姓から苛斂誅求を極めるような税の取りかたをするなとの、の戒めがあったのです。
最近はMMT論なども出てきており、税の性格が変わってきています。税は財源ではないということも言われていますから、何とかして欲しいですね。
消費税は別名「貧困促進税」というのだそうです。
戦前、日本は軍部が独走し世界大戦を起こした、というのは戦後の作り話で、当時はマスコミが喧伝し、それを国民も支持し、大蔵省が予算をつけて、日本国民がこぞってやったことです。大蔵省が予算を付けたということは重要な要素です。赤信号もみんなで渡れば怖くない、付和雷同も日本のお家芸なのです。
「よもの海みなはらからと思う世になぞ波風のたちさわぐらむ」御前会議において昭和天皇はこの明治天皇の御製を暗唱なさいました。昭和天皇御一人が覚めていらっしゃったのですね。天皇以外にも覚めた人はいたのでしょうが、誰も聞く耳がなかったのでしょう。
17条憲法は、勝れて日本的であり、現在でも通用しますが、空気で動いてしまうのもわれら日本人なのでしょう。
この17条憲法の精神は、明治元年(1868年)に発布された五箇条の御誓文の精神にまで連綿と続いていて、それは、今も昔も変わらぬ日本人の精神の拠りどころなのです。希望と期待を込めて言えば、日本が日本人のものである限り、100年後も多分同じなんでしょう。
日本が高度成長をしていた時代のビジネスモデルは、雁行型といわれ、トップを走る企業が、その傘下に仕事を流しておりました。この時代は、系列でガッチリガードされておりましたから、品質と納期とスピードで信頼を得ることが重要な要素でした。
ところが大手企業自らは工場を持たないか、あるいは縮小していることの背景もあり、系列というイメージから水平分業となり、部材の受注メーカーは、材質の研究や機能についての提案が要求されるようになってきているように感じております。
これまで下請に甘んじていた企業にも、チャンスの時代が来たということも言えます。発注を受けた企業は、自らの創意と工夫により満足のいく部材を発注者に提供し、要求された以上の高品質のものを提案することが、水平分業の時代の繁栄の要素なのです。
つまりこの創意工夫が税法上は優遇されている試験研究費ということになります。
経営者の皆様は、自社で仮に試験研究費に該当する支出があっても、それが税法上の試験研究費に該当するかもしれないとの意識は、あまりないのではないかと思います。
例えば新製品開発のための金型を製作した場合や、3Dプリンターを導入した場合などは、その支出は試験研究費に該当するかも知れません。
発展し、あるいは生き残るための、新しい製品や、技術の改良などのこうした試験研究費は法人税法上も所得税法上も税額控除の対象です。
試験研究費の税額控除制度は、我が国企業の成長を促す観点から設けられた税法上の優遇措置ですが、あまり使われていないとも感じております。
他方税理士側も、金型や3Dプリンターの購入と言えば、それを資産として計上すべきかどうかの検討は致しますが、試験研究費に該当するかどうかの視点はないものです。
従って、そうした支出はあったとしても、試験研究費の意識の基に会計処理や税務処理をしていないのではないでしょうか。
正しく会計処理をすれば、費用(税法上の損金)として落とせるだけでなく、税額控除も受けられるのです。税額控除は国からの補助金みたいなものとお考え下さい。
仮に試験研究費10,000,000円を使い、その年の税額控除割合が12%だとすると、1,200,000円の法人税額が控除されます。ただ、これには他の計算要素も加わりますから、その場合、控除される数字が変わってくることになります。
固定資産の特別償却費などは、その年に使わなくとも通年で考えれば、いずれ費用になりますが、試験研究費の場合、その支出等が確定した会計年度で、それに対応する税額が控除されますから、お得感があります。
ただし法人税の算出がされていることが前提となります。
ここでは中小企業においても、ごく日常的に発生していることが考えられる試験研究費の範囲とその会計処理について簡単に述べます。
製品の開発やその技術の改良、考案、発明若しくは発見に要する費用で、基礎研究や、応用研究、それらを抱合した次のような費用です。
ただし国等からその研究費見合いの補助金等を受ける場合などは、これを試験研究費から控除しなければなりません。
①人件費
その試験研究を行うための人件費(専門的知識をもって試験研究の業務にもっぱら従事する者にかかる費用)は試験研究費の範疇です。
独断を入れますと、ここでの専門的知識ということですが、○○博士や、××士のような人材を指すのか、というとそうではなく、設計、試作、開発、分析、データー収集など社内において専門的知識を持ってその担当する業務に当たれば、専門家ということが言えると思います。
仮に専門知識を有しているとしても、社内において他の業務を兼業していることもあり、その者の知識が試験研究に必要不可欠である場合などのときは、その研究に専属に従事した期間の人件費相当額は、試験研究費としていいのです。
②原材料費などの費用
試験研究を行うための費用であれば原材料費や間接費も含まれます。部品費、補助材料費、消耗工具費、試作費など、およそ試験研究費に要したすべてを、経費(損金)とします。
③外部委託費
その企業に代わって他の者に委託した研究費用や、技術研究組合法9条第1項による賦課金。
④試験研究の用に供される固定資産
研究のための建物(研究棟)や機械装置の取得費は直接的には税額控除の対象ではありませんが、それら製品の製造若しくは技術の改良、考案、発明にかかる減価償却資産の減価償却費は試験研究費に含まれます。準備金方式によった場合の特別償却準備金は含まれません。
試験研究費は新製品の計画・設計、既存商品の著しい改良などのために発生する費用であり、一般に原価性がないと考えられるため、通常は一般管理費として、当該科目名を付して記載されます。仮に製造現場で研究開発活動が行われ、製造費用とした場合には、原価計算を通じて、たな卸在庫に含めなければいいのです。
試験研究費に似たものとして開発費があります。
開発費とは『新技術又は新経営組織の採用、資源の開発、市場の開拓等のために特別に支出した費用、生産能率の向上又は生産計画の変更等により、設備の大規模な配置換えを行った場合等の費用』とされており、試験研究費はあくまでも試験研究のための費用のことですから、その範囲の違いに注意しなければなりません。
開発費であれば、税額控除の対象とはなりませんが、実務上は開発費と試験研究費の区分は、それほど明確ではないこともあろうかと思います。
試験研究費も開発費も、債務の確定した年度で費用(損金)処理するのが基本という点では同じと考えて頂いて差し支えありませんが、開発費は繰延資産を形成することもあります。
荻生徂徠(1666年~1728年 江戸時代中期の儒学者)が、いい人材(従業員)の得るために残したと言われるのが次の言葉です。
組織には職制上の上下関係に従い、指示命令系統の基で動きます。
人の性質(喜・怒・哀・楽)は、似たようなもので、自分をよく観察すれば他者も、理解できますし、自分の裏返しとして人を見て、自分が喜び共感できるであろうものを、人にも施せばいいいということになります。
昭和の時代まで、職制上の立ち位置は別にして、会社は我が家であり、株主・経営者・社員さんが一体として機能していました。そこに企業の強さや、繁栄の根っ子がありました。
AIやITの進歩、あるいはそれらを内蔵した機器の高度化は、益々人が要らなくなる方向にあります。デジタル化が進行すれば、デフレも進行するでしょうし、生活に役立つはずの文明の進歩が人を排除し、賃金も低下して貧しくなります。本来、利益は一見して無駄と見えるもののなかにあるのです。
人が貧しくなり需要が無くなれば、供給も増えることはありません。買い手が消失すれば景気も上向きません。製造業であっても、これからは人的パワーや人が持つ技術を結集してできる仕事を選び、そこでノウハウを磨くべきではないかと思います。
設備への投資は必要なことですが、財務状況や投下した設備資金の回収計画も確かなものを作らねばなりません。
トランプ大統領が、中国の安い製品と移民を排斥し、国内産業を育て、アメリカ人の仕事を保証して豊な国造りを目指したのは、こうした背景を観察してのことでしょう。
海外で安く生産されたものは関税障壁を設けて国内に流入しないようにし、国内産業を護るというのは正しい選択だと思いますが、国はそうは考えていないようです。
所得水準が落ちて、生活が貧しくなれば、法のコントロールが効かなくなり、社会秩破が壊されて、混乱が生じますから、打つ手は無くなります。
国内の物価は高くても良いのです。高い物価のものでも買えるようにし、その循環を考えるのが政府の仕事だと思います。
菅政権はNTTの携帯料金を下げるように指示を出し、NTTもそれに応じました。
通信会社の設立を容易にして競争を促せば、自ずと携帯料金も下がるのであろうし、NTTも競争上、試験研究費への支出が多くなり、日本の通信技術も上がります。
平成の時代、剥き出しの競争を強いたことで、日本全体が貧乏になったというは反省が、菅内閣には無いようです。まあ時の政権というのは、長期で存続できないのが普通ですから、今だけここだけで目立てばいいということなのでしょう。
「このたわけ」というのは田を分割して分けることで、「たよりになる」というのは、分散している田を寄せ集めて、皆が安心をして飯が食えるようにすることなのです。個々人より組織を保護するというのが日本人の知恵ですが、それが完全に消失しました。
もしトランプさんが時期アメリカ大統領に就任できないのであれば、日本にお呼びして、菅政権に代わってもらえまいか、と思いますね。
最近、働き方改革と称してジョブ型雇用という言葉を見かけます。職務記述書(ジョブスクリプション)で規定されたジョブに、それを遂行するスキルを持った働き手をあてはめるやり方、というような定義も見られますが、それは論者にもよるようで、明確な定義はないようです。メンバーシップ型とは日本の従来の雇用慣行を言い直したものです。
またジョブ型の原型は韓非子のなかにあります。韓非子は次のように述べています。
まず部下がどのような成果を上げられるかを事前に話し合い、そのとおり成果を上げたときに報償を与える、成果は最初の約束どおりでなければならない。
約束を下回っても上回っても、約束違反である、ということのようで、約束以上の成績を上げても評価の対象とはしない、成果が大きいことを喜ばないわけではないのですが、当初の約束と成果が一致しないのは、組織運営の弊害になるというのです。
つまり職務記述書を作成して、それが記述書どおりに運営できなければ、当然、労使のいずれかに報償に対する不満が生じることになります。
世の変遷のスピードは速ければ、絶えず職務記述書の見直しが要請されることになり、労使ともについていけなくなります。ジョブ型というのは、目新しいように見えるだけで、飛びつくようなものではないであろう、ということです。
ただ資格と頭脳と高度な技術が必要で、行政の影響を強く受けるような職種には向くかも知れません。例えばお医者さんです。
ではどうすればいいのか、周りを見回して、業績のいい会社というのは
①労使間のトラブルが無く、お互いが協調的である
②社内での整理・整頓・清潔・清掃が行き届いている
③無駄ないように商材・器材・その鉛筆一本に至るまで支出を管理している
④トップがなによりも②と③に理解を示し、率先垂範している
ということです。
上記に書き上げたようなこと、とりわけ②と③を、丹念に実施して、利益が出れば社員さんにも還元をするとした方が、社内挙げての一体感の機運が高まり、業績が上がるのではないでしょうか。
今年がいい年となりますことを祈念します。
ドラッカーは、組織はその組織に所属する個人の個々の弱みを消し、強みを集めて発揮するためにある、と言っています。ところが長年の悪しき慣習と属人的要素で動いていることも多く、社員の力が十分に発揮されていないなあ、とお見受けすることがあります。そこで大事になってくるのが「内部統制」です。
内部統制というと、厳しく人を縛るようにも見えますが、公平にそれを適用し、労使ともに遵守することで、逆に組織内の自由を保障することにもなります。
その要素としては、私は下記2の①から⑥にあるようなものを考えています。
「内部統制」というより、時代の流れからは「企業倫理」あるいは「企業道徳」と言う方が、いいのかも知れません。内部統制制度を策定し、これを周知徹底して遵守し、上下が力を合わせることです。
言葉を換えれば、組織全員が責任を自覚した当事者となり、社内批評家を排除することでもありますから、TVコメンテーターなどは、無責任な批評はしても、その言動に責任を持ちませんから、社会的には殆ど無意味な存在です。
内部統制制度は、仮にあったとしても、機能していないことが多く、あるのに機能しなければ、逆に弊害が生じます。機能させるには、賞罰規則を伴うようにしなければなりません。
罰則の反対が褒賞だとすると、褒賞も必要ということです。しかもこれらは必ず遵守し、遵守しているかどうかの監査する担当が必要です。
ではこうした監査担当を、会社内部に置くか、というとどうでしょう。監査担当を内部におくことは、人間関係が壊れることもありますから難しいでしょうね。監査担当は外部の人間に限ります。
別の角度から観察しますと、内部統制制度を策定するということは、悪習を是正し、良いい習慣を定着させるということでもあります。この意味するところは大きいのではないでしょうか。
身に付いた悪い習慣は一言、二言語りかけただけでは治りません。慣れ親しんだ悪習を治すには、是正を意識して半年はかかります。
私は税理士ですから、会計や税務が仕事の守備範囲であり、まずそこに目が行きます。そこで会計について述べます。
中小企業会計の第一の眼目は、資産と負債それに収入と費用から招来するところの利益の管理にあります。
また財務諸表を通じての報告はその企業の管理者、金融機関、税務署など限られた利害関係者に対するものですが、税務署を強く意識したものとなります。
会計は経営状況を会計的側面から観察してバランスを保ち、これからの投資を考えるとともに、法人税等を計算し、金融機関や税務署からの評価を得るための道具でもあります。
企業が外部からの理解と評価を得る手段は、財務諸表を通じた数値でしかありません。それはプロ野球などにおいても、球団や選手個人の評価は、勝敗や打率などで決まるのと同じことなのです。
中小企業というのは、扱う商材、理念や経営方針もそれぞれであり、経営者の個性が大いに反映されるから属人的であると、いうことができます。永続的な命を吹込み、その属人性を排斥するためには、内部統制を必要とします。
最近、外資系会社による「倫理監査」なるものに立ち会う機会を得ました。
その倫理監査で監査の対象とされたものは、人権を切り口として、就業規則と賃金規定から、それが遵守されているかどうかを指揮命令系統、拘束時間と賃金の実際を観察するというものでした。なるほどなあと思ったものです。
倫理というのは、日本人の社会には、西洋的な意味での人権感覚ではないにしても、山川草木悉皆成仏というような感覚においては存在していますが、そうした感覚的で目に見えないものを、文書に落として拘束力を持たすことはできません。
経営者は、並外れたエネルギーを持っているものです。そもそも人のエネルギーは本来的には方向性のないものです。同時に将来に対して持っている危機感も人一倍ありますから、社員からはワンマンに見えることもあります。
次の2で示すように内部統制規律を設けることは、そのエネルギーを制御して方向付けをすることで、社員の協力を得、上下心を一にするためのものとして重要なことです。
中小企業においては、資金的にも多彩な人材を抱えることは不可能ですから、内部統制規律において指導的役割を担うのは、近くにいる税理士がふさわしいのではないか?と思いますが、かなり手前味噌でしょうか。
①企業理念の策定
企業理念はその会社の方向(目的)を示すもので、それは達成すべき企業目標とは違うものです。方向性であるから、100年後もそのまま通用するような内容のものであることが望まれ、言い換えれば100年後も未達ということになります。
②企業目標の策定
目標は企業理念を達成するために策定されるものであり、達成し終え、あるいは未達に終わっても時間が経て環境が変われば、また変えるべきものです。
企業目標を明示して公開することは、社員のやる気のパワーの源となります。
目標は人を頑張ろうという気にさせますし、社員が自らの使命として己に負荷をかけるように仕向けることが望ましいのではないでしょうか。
③会計ルールの策定
会社の資金運用において、取引先の与信管理、貸付金・仮払金の規準、物品購入、費用を管理可能費と管理不能費に分け、管理可能費たる交際費などを始めとした支出についての管理基準や、会計処理手続きについて定めるのがよいでしょう。
④就業規則
巷間出回っている就業規則は、お役所文書のようなものが多く、血が通っていないのが実情です。社員の義務を強調するあまり能動性・積極性を引き出すようなものにはなっていません。創るときも社会保険労務士に丸投げしたまま、後は知らぬとなっていることが多いのです。企業側としては、そうした専門家を交え、文言の一字一句を正しながら策定することが大事であろうと思います。
組織は人で構成されているわけで、就業規則は一番大切なものではないかと常々思っております。
⑤「信賞必罰」をルール化した褒賞規準の作成
組織は人の信頼関係が基本であり、その組織の企業理念、規模・企業目標に照準を合わせた褒賞規定があればよいでしょう。
賞についても、罰についても基準が必要となります。人は誰でも認められることが嬉しいものですし、褒めれれれば、やる気を起こします。
罰については基準を明示しないままで、懲罰を加えると、それは単なるいじめとなるでしょう。
また人間関係が極端に悪い組織では、就業規則など規則を護ることに痛痒を感じなくなり、結果的に懲罰規定の、効果がないことになりますから、賞罰の規準を設けるには、まず上下の信頼関係が濃密であることが前提です。
⑥経営成績の公開
全部ではないにせよ、ある程度経営成績を社内で公開することは、内部統制上も有効です。
また企業目標を掲げ、社員に協力を要請するのであれば、その結果としての経営成績も全てとは言わないまでも、ある程度公表すべきでしょうし、結果として経営者の恣意性と壟断を防ぎ、社員の力を引き出し、会社の業績の向上と永続性にも結び付くことになり、経営者は経営を楽しむことができます。
つまり企業理念と企業目標の成果が、経営成績の公開で具体化し、会社全体が一つの方向に向いているかどうかの試金石が経営成績の公開というわけです。
最近、実際に直面した税務の話3題です。
一読して難解、二読して不可解、三読して誤解、というのが税法を読む上での格言です。
条文の解釈も去ることながら、その条文を実務の上で展開することも、実は大変なのです。
譲渡担保とは、不動産を一旦、相手に引き渡し、それと引き換えにお金を借りることをいい、不動産取得税とは、不動産の取得時に課税される地方税です。
譲渡担保には①譲渡した相手からの融資を受けるものと、②金融機関らの融資を受けるものがあり、後者を売渡担保といいます。
A社はB社に不動産を譲渡して、2年以内に買い戻す約束をして、金融機関から融資を受けました。つまり②の契約をしたのです。
2年を待たずして買戻しをしたところ、県税事務所から不動産取得税を課税するとの通知が来ました。
A社は譲渡したあとも、買い戻すまでの期間、占有(使い続けること)をし、家賃を支払っています。
地方税法73の7では、譲渡担保による買戻しの場合、不動産取得税は課税しない、としています。そこで、異議申し立てをして争いましたが、結局課税されました。
売渡担保は、法が予定している譲渡担保には該当しない、というのが県税事務所の主張でした。
弁護士さんにお願いして争っており、現在は最高裁に行っております。
最近の裁判例では、売渡担保も、譲渡担保であるとの、流れが確定してきておりますし、勝てば、類似のケースは、多々あるものと思いますから、救われるケースも多いであろうと、密かに期待しています。
Bさんが亡くなり、主宰していたC社に対する貸付金を、相続財産として申告をしました。
C社は、Bさんがお亡くなりになる数年前に、休業しています。
私は全く別の事情でこの申告書を拝見することになりました。
ところが拝見をして、あれ?と思ったのです。果たしてこの貸付債権がまるまる相続資産なのか。
C社には不動産が多くあり、いずれも相当程度に価値が低落していて、買い手もいないため、処分できずに困っています。
相続財産の価額は、財産の相続時における価額(相続税法22条)とされており、相続税財産評価基本通達1の(2)においても、財産の価額は時価のよるとされています。
同財産評価基本通達204の(1)においては、「貸付債権等の元本の価額は、その返済されるべき金額」であると明示されており、同205(1)のトには「業況不振のため又はその営む事業について重大な損失を受けたため、その事業を廃止し又は6月以上休業しているときには、それらの金額は元本の価額に算入しない」というのが、貸付金に対する相続税法の基本姿勢です。
法人の会計は、債権や債務は限りなく網羅されるべきものとされています。
実務においては、資産については、低価法や場合によっては時価法が適用されるものもありますが、負債については評価という概念がないのです。
申告書を書いた税理士さんは、職業会計人に有り勝ちな知識・経験・慣れから、ついついウッカリして相続財産としたのかなあ、という気も致しますが、果たしてどうなのでしょう。
売掛金残高のまちがいに気が付き、その間違っている金額を費用(損金)としたとき、一定の年限を経過しておれば、時効の消滅として、否認しなければならないのか。
このケースは、過去に発生した売掛債権を、相手との協議で消滅させたものの、長年に渡り損失処理を放置したものではありません。
月々の請求書は正しく発行されております。
もし間違って多く請求していれば、取引先から抗議がきますから、日を置かずに解決をしています。
経理担当者はとても優秀で、責任感も人一倍強い人です。
なぜ、そのような間違いをしたのか、多分ご本人も今以って謎のはずです。結構、どこでもよくある話のような気もします。
月次監査がちゃんとできていないのは、あんた(倉矢のこと)が悪い、と言われれば、その通りかも知れません。
私の認識は、ただの間違いであり、時効になじむ問題ではないと、いう判断でした。
消滅時効というのは、一定期間、権利を行使しないことにより、権利そのものが消滅することをいい、相手との権利義務の関係で生じるものです。
このケースには相手がありません。
また法人税法にいうところの仮装経理をしたものでもありません。
会計では「認識」と「測定」という用語を用いて費用や収益の期間帰属、金額を決定しますが、意識されないものは金額計算ができません、当然ですよね。
法人税法22条4項では、「その事業年度の収益や費用の額は、別段の定めのあるものを除き、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従う」とされていますが、認識できないものは、測定不可能なのです。
法人税法には基本通達2-2-16(前期損益修正)が置かれております。
基本通達2-2-16が生まれた背景には、「認識」と「測定」という、杓子定規で限定的に所得を把握するということに対するアンチテーデとしての意味も含まれていると思われます。
この会社は過去において、連続して黒字を出しています。少なからぬ税金を国に納めている優秀な法人です。
仮に、不作為に過大計上した売上に対し、既に納付した法人税は、過誤納額であり、国には不当利得による返還請求義務(民法703条)があるのではないか、とも思慮します。
不当利得の返還請求には時効はないはずです。
つまり今回は修正の要請に応じるから、その代わり先に収めたものは、不当利得として返還せよとの交換条件を出すことで、相殺が可能となるかも知れません。
ところが調査官は、そうした諸々を配慮せず、時効消滅した債権だから、修正の対象とする、というのです。しかも、これを飲まなければ相手側にも反面調査に行くと言う。
泣く子と地頭には勝てぬとは、よく言ったものです。
会社の体面とか、長きに渡って築いてきた取引先との信頼・信用に一切の配慮がないのです。このときばかりは、本当に殴ってやろうかと思いましたよ。
新しくHPを開設したことに伴い、久しぶりに私が書いた文書を載せることにします。
このコラムはその名称を「クラヤの本音」と称することにしました。ざっくばらんに思いついたことを書くつもりです。
私の別のHPには、過去にいくつかコラムを載せていますが、これから書くものは、それらと比較して、矛盾があるかも知れませんが、頓着なしに書きますので、よろしくお願いします。それから人は自分のことは判らないが、人のことはよく判るものです。
従って、お前には言われたくない、というようなことを書くこともあるかも知れませんが、それもお許し下さい。
2度目の安倍政権が誕生した直後は、民主党時代に辟易していたこともあり、これで大丈夫だと安心をしたものです。しかしその後の安倍首相の政権運営を見て、一体どうなっているのだろうと悲観的なものとなりました。
それは安倍首相の個人的資質なのか、あるいは周辺に進言するものがいないのか、あるいは自民党の体質が歪んでいるからでしょうか。
保守の代表として君臨し、国家の基礎的基盤でなければならないはず人が、こんにゃくのようにふにゃふにゃで、中身がないのです。
トップの在り方、あるいは組織のあるべき姿としては、現在の首相は企業経営の恰好の教材であるように思えます。
安倍首相が2回目の政権トップとして返り咲いたとき、夫人が料亭を開いたという記事を月刊誌だったか、週刊誌だったかで読みました。
そのとき、フト嫌な予感が走りました。「李下に冠を正さず」という故事がありますが、国の政権を担うということは、その座を虎視眈々と狙う政敵もおれば、貶め世を騒がせたいという有象無象もいるわけで、身辺には相当気を配らねばならないはずです。
一国の宰相のご夫人ともなれば、その立場からしてどのような策謀に巻き込まれ、利用されるか分かったものではありませんし、その自覚が必要ですが、ご夫人にはそうした認識はないのでしょう。
なぜ安倍首相が、あるいは周辺がそれを止めなかったのかと不安に駆られましたが、杞憂ではありませんでした。それはモリカケ問題として発露しました。
安倍首相もまた、桜を見る会でのふるまいや、「うちで踊ろう」の貴族然とした写真などは、一般国民からどれだけ懸け離れていて、反感を買うであろうという感覚がないように見受けます。
「似たもの夫婦」といいますが、安倍さんもご夫人と同じ性質を持っているのでしょう。こうした脇の甘さが安倍首相の政権運営、外交スタイルにも影を落としているように思います。
家族をまとめられない人に宰相が務まるのだろうか、ということです。
その甘さはロシアとの領土交渉にも顕れました。現段階では事実上失敗していると思いますが、その交渉の席上でプーチンをファーストネームで「ウラジミール」と呼ぶなど、如何にも親しげな演出を図りました。そうした安倍首相をプーチンはどのように思ったのでしょう。
もっとしっかりプーチンの「裏地を見て」欲しかったですね。
アイヌ新法をいとも簡単に作ってしまいました、これは今後に禍根を残します。しかも事実上の移民政策もとりました。この二つは同根の話です。
もしアイヌという民族が存在するとしても、アイヌ新法を作ったことで結果的にアイヌを差別扱いすることになります。国内での対立を生み、アイヌを自称する一握りの特権階級を利するだけのことになるであろうことは目に見えております。
そもそも「日本を取り戻す」といったときの日本とは、どの時代を想定していたのでしょうか、国民国家として熱く燃えた明治か。日本文化の華が咲いた江戸か。勃興期の鎌倉・室町か、はたまた神代か。そのいずれでもなく、ただただ戦後の日本を追認し、極めて戦後的なものを敷衍しただけのように見えます。
消費税が孕んでいる問題については、識者と言われる人たちが、大方を語り尽くしています。
『消費税が国を滅ぼす(文藝春秋:著者富岡幸雄)。「10%消費税が日本経済を破壊する:(晶文社:著者藤井聡)』などです。そのなかで、富岡先生は消費税を「悪魔の仕組み」といい、藤井先生は「罰金である』と言っています。
消費税により国家をヘイトする日本人がいるであろうということです。買い物をするごとに日本国を恨み怨念を持つ、恐ろしいことです。
国民であれば国家を敬愛し、忠誠を誓うのが普通のことですし、そのような国造りが望まれます。ところが毎日買い物のつど国を呪い、恨みを持つのです。
「鼓腹撃壌」という故事がございます。
庶民は政治のことなどに思い煩うことなく、日常生活にいそしんでいられることがいい政治だというほどの意味です。
しかし消費税はどうでしょう。全部の国民ではないにしても、買い物をするごとに、国を悪く思うことになります。
同じく間接税に「酒税」があります。宴会の席上、あるいは晩酌においてこの「酒税」を思い出す人はいません。なぜか、税が隠れているからです。
酒税は蔵出し税と言われ、酒造元あるいは保税倉庫から引き取る時に課税され、最終価格に転嫁されています。日本酒の小売価額が1800mlあたり2,200円として、酒税はおよそ206円(消費税は200円)が課税されています。人の情として、酒税には腹が立たないが消費税には腹が立つのです。
『戦争はあらゆる芸術の基礎である。かく言う私の真意は、戦争が人間のあらゆる高い徳と能力基礎であるということにある。
このことに気づいてみて、実は私自身大変奇異に感じ、同時に恐ろしくさえ感じながらも、なおそれが全く否定しえない事実であることを知ったのである。私の知ったことを簡単に言えば、こういうことである。すべての偉大な国民は、彼らの言葉の真理と思想の力とを戦争の中で学んだのである。
彼らは戦争の中で滋養分を得たのに、平和によって浪費し、戦争によって教えられ、平和によって欺かれ、戦争によって訓練され、平和によって裏切られということ、要するに彼らは戦争の中で誕生し、平和の中で息絶えたのだ、ということである』
(-ラスキン「野生のオリーブの王冠」新渡戸稲造の武士道・・飯島正久訳・解説より引用しました-)
大半の国民が今や戦後生まれです。平和な社会で育ち、暮らしています。戦争は知らないし、貧困が間じかにあるということも実感しないことが多いのです。
平和のなかでは感性が鈍ります。
しかし貧乏な日本人は大勢います。それは街を歩いていても感じます。これは高校の先生からお聞きした話ですが、家庭訪問に行くと段ボール箱で勉強をしている子がいる、というのです。そうした子たちはアルバイトで稼いだお金を家に入れています。この話を聞いたのは10年も前ですから、今やもっと大変なことになっているでしょう。
- 高い家に上りてみれば煙立つ、民のかまどは賑わいにけり -
仁徳天皇の御製ですが、政治の眼目は、底辺にいる人達に、照準を合わせたものでなければなりません。その理解に必要なのは、理屈ではなく感性です。
構成員10人の営利企業であっても、一番未熟と思われる人に照準をあて、愛情を込めれば、残りの9人が発奮するでしょう。
共通の知人として安倍首相を取り上げました。私なども顧みれば、自分が良く判っていません。人のことは言えたものではありませんが、来し方行く末を考える上で、安倍首相の生き様から、やはり何かしらの考える材料はもらったように思います。
自らを省みて思うに、社会の認識、あるいはそこから招来する状況判断も多分甘いところがあるだろうなと推察しています。
人は自身を外なる眼で観察して逡巡し、企業トップであれば参謀を置くことで軌道の修正を計るということは大切です。
孫子は「廟算」ということを言っております。祖先の御霊を祀った部屋に籠り、問え、というほどの意味です。
また参謀と言っても、学歴見識の高い人がいいとは限りません。今の時代、牢固とした知識で武装した人の方が、間違いを犯すことだって大いにあり得ます。知識で武装するということは、知識をマニュアル化するということにもつながり、そこからは反省は生じません。
俺には危ないとこころがあるなと、虚心坦懐に構えていた方が安全なのです。
「傍目八目」といいますが、5歳児の率直な感想が身に染むこともあるでしょう。
人から意見されて腹が立てば、本質を突かれたということでもあります。
これを書いている今日(5月16日(土))の昼、事務所近くの行きつけの喫茶店で軽食をとりました。隣の席にパート勤務と思われる二人の女性が座り、上司の話をしておりました。二人とも御年60歳前後でしょうか。上司というのはこの2人よりかはるかに年下の様子。
聞くともなく聞いていました。嘘です、耳をそばだてて聴き入っておりました。まあ、よく見ているというのか、なるほどそういう風に観察しているのか、と感じました。
店を先に出たのは私です。思わず「ありがとう」の声はもちろんかけませんでした。
しかしこの2人が、社に帰って意見を具申することはまずありません。
どの組織でもそうですが、周りには参謀としてお役に立ってくれる人は必ずいますよ。風通しをよくして、わいわい意見が上がる組織をどのように作るかです。「志村けん」の真似をして、バカ殿を演じてみるのも一つの方法かも知れません。
パートで働いている高齢者というのは、社会をよく知っているのが一般ですし、また組織に対しては、中立的で欲得がない分、組織や人間関係をよく見ているハズですから、参謀としては有能でしょう。
① クラヤから
最近は実に色々な資金繰り等についての情報が出てきております。 しかし、情報に振り回されているようなところもあります。それから、今回のコロナに絡んで、緊急避難として、新規融資を仰ぐ必要がある場合、返せなくなれば、現在の銀行融資返済を止めてしまう方法があります。これに関しては個別に相談を頂ければ、いいかと思います。返済のストップは意外と簡単にできます。誤解を恐れずに書きます。
コロナの問題にしてもそうですが、昔から風邪に効く薬はありません。風邪をひいたときは、ゆっくり休んで、寝て治すものです。また風邪が肺炎を呼び込んで、死に至るということは、よくある話です。少し騒ぎすぎのような気もします。
ネットには、そのような書き込みが出てきています。
私が今回のコロナを警戒するのは、2週間の隔離されてしまうことにあります。
巷間、漏れてくる話として、政府は集団免疫を試行しているのだと、いうことです。
そうすると、一定期間を経れば、コロナとの共存ができます。ただ、政府は集団免疫ができる日まで、皆さん我慢をして下さい、とは言えませんからね。
② 知人から
お世話になっております。大変ご無沙汰してしまい、申し訳ございません。資料、ありがとうございました。世間はコロナの話題一色になってきており、毎日、ニュースを観るたび、ため息をつきたくなる毎日です。貸し付けについて、今すぐそのお金が必要にならなくても借りておいた方がいいのではないかという風におっしゃる方もおり、そういうものなのだろうかと思案しております。先が見えない状況で、何を一番に考えなければいけないのか、思考の路頭に迷ってしまいます。クラヤさんともゆっくりお会いできる日が早く来てほしいです。
③ クラヤから
ご無沙汰していますね。安部政権は108兆円の景気対策費を打つと公言しましたが、真水部分は14兆円ほど、と言われており、世間からは非難の的になっています。アメリカはこの真水部分が200兆円ということですが、国情の違いを考慮したとき、この非難が正しいかどうかは判りません。
この108兆円のなかに、融資枠30兆円超があります。まあ、これは比較的借りやすいですし、今この枠に借り手が殺到しているそうです。ここからは私の明敏にして深い洞察⁇⁇?ですが、借りて返さないでおこう、という手合いがそれなりにいるのではないでしょうか。
「借りた金は返すな!」ということです。返さなければこれも真水部分になります。・・・(昔「借りた金は返すな!」というタイトルの本に出合ったことがあります)・・・。仮に1千万円を無担保(5年間返済猶予かつ無利子として)で融資を受ければ5年間はそのまま据え置き、そのうち貸した側と交渉をして月1万円の返済にとどめるのです。背に腹はかえられません。これから不届きな借り手が相当増えそうな予感がしております。
④ 知人から
お世話になっております。
本日は出勤されていらっしゃるのでしょうか?コロナ融資その他のご相談でご多忙のことと思われますが、くれぐれもご自愛くださいませ。当方に融資を受けた方がいいと勧められた方も、これは返済不要の融資だからと仰っておられました。
仕事柄、うまく(?)立ち回り、返済せずに、それでも比較的裕福に過ごされている方にお会いしたことはありますが、何の痛手も心労もなく、返済せずに過ごすことができるものなのでしょうか…。平々凡々、庶民感覚の私には合わず、その手の方にお会いすると、正直、少し引いてしまいます…。
⑤ クラヤから
借りた金を返さないということは、犯罪ではありますが、痛快でもあります。
ただ、注意しなければならないことは、知人や友人から借りたときは必ず返済しなければなりませんね。
これを貸して側から、観察したとき、税理士もそうですが、本業で人は失敗するものです。金融のプロも金を貸して焦げ付かせます。
それは金融機関の社会的責任として、貸さざるを得ない場合もあるでしょうし、気の毒と言えば気の毒ですが、目利きではなかったからという側面もあるでしょうし、それは、貸し手の責任でもあります。手前勝手な発想と言われるかも知れませんが必ずしも、借り手にすべての責任がある、というものでないように思います。
大阪府の制度融資を利用してお金を借り、最終的に自己破産をした場合、長年に渡りその記録は残りますから、新たな制度融資が受けられません。記録が残っているのです。そうした罰は受けますね。
仮に金融機関から10億円の融資を受けて、それが返済できなくなったとしても、そのお金は、借り手を離れて、社会のどこかでお役に立っていますしね。その辺りはどうのように評価すべきなのでしょう。
まあ人は大半の時間を妄想のなかで暮らしていますね。人は妄想の中で、育ち、妄想を糧として生き、妄想とともに老いて死ぬ。・・・ケ・セラ・セラ・・・以上の文書も、もとい、妄想です。
この文書を書くために25分、妄想を楽しみました。
⑥ 知人から
お世話になっております。今いる、いらないにかかわらず、借りるだけ借りろと言っている某上場会社〇〇社長〇〇氏のネット上の書き込みを読みました。返せなかったときは仕方がない的発想でした。先行きが見えないのはみなさん同じだと思いますが、悪魔のささやきに引っかからないように気を付けます。